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2008/01/10

電子化について。

あまり本を読む方では無いですが、たまに活字が妙に読みたくなる時があります。
特に好むのが小説で、小説はぜひ本などの活字で俄然読みたい派。
最近、特に生活をしている中でみる文字は画面上でのものが多く、活字を見る機会が少なくなってきました。
メールや、情報収集のための文字は画面上でも気にならないんですが、
なぜか小説などの読み物は画面上で見ると陳腐に見えませんか。俺だけですか?
縦書き、横書きの違いなのか先入観だけの問題なのか分らないけど、じっくり物語に入っていけません。

幸いにも家の目の前に小さな図書館があり、ごくたまに小説が読みたくなると利用します。
急速にデジタル化が至る所で進む中で図書館という空間はアナログに守られている気がして安心したりします。

先日、ふと小説が読みたくなり図書館を訪ねました。
普段は本当に本は読まないので、太宰治の本を読んだ事がありませんでした。
これは読んでみようと思い太宰治を探す。
しかし見つからない…。
受付の人にどこにあるのかと聞くと、あちらの端末から検索してくださいと。
彼女が指差した先にはコンビニにあるようなATMサイズの端末でした。
その端末にタッチパネルで「ダ・ザ・イ」と入力していくと太宰治に行き着き、彼の作品がどの棚にあり、現在貸し出されているのか否かまで分るようになっていました。
あろう事か、この図書館にお目当ての本がない場合は近隣の図書館にその本があるかどうかも検索できるとの事。
そう、アナログ空間だと思っていた図書館にも確実に電子化の波が押し寄せているのです。
そしてそれに気がついていない俺。

端末に示された棚に行くとちゃんとお目当ての本がありました。
その本の裏を見るとバーコードがあり、借りる時はそのバーコードを受付の人が機械で読み取って、俺の図書カードのバーコードもピッと読み込む。
すると俺が何日何時何分に何の本を借りたという情報がコンピュータに登録される。
これはまさしく電子化。
アナログ世界だと思い込んでた図書館は、立派なデジタル管理の整ったサイバー基地だったのです。

もし図書館が俺の思っているアナログ空間だった場合、俺は受付の人に太宰治の棚を聞き本を見つけ、その本を受付に出して本の裏についている図書カードに記入をして・貸し出しカードに記入して…etc の作業をしなくてはいけません。
確かにべんりやね〜。デジタル。

人は低きに流れるっていいますが、電子化が低きなのかという議論は別にして
そら便利な方が浸透するわな〜なんて思って図書館を出ました。



家に帰り、借りた本を開くと裏表紙に違和感。
違和感の元を探るとそこには懐かしの貸し出しカードがありました。
一瞬「耳をすませば」を思い出したり。


じっくり見ていくと一枚目の写真の日付は昭和から平成にかわるタイミングで年号が西暦表記になってる。
歴史を感じさせます。
そして驚きなのが一番古い日付が昭和54年って事。
この本は俺より以前にこの世に存在していたって事なのか。
しかも俺の生まれた昭和56年の4月9日に貸し出しの記録が。
俺の生まれる直前に誰かがこの本を借りて、同じ本を俺が今借りてる。
アナログの醍醐味はこういうところかと思いましたね。

そして1枚目2枚目共に1994年を最後に更新がありません。
おそらくこの年に管理がバーコードになったと思われます。

これだけデジタルの導入で至る所が便利になって、デジタルこそ当たり前になってしまっている今。
だからこそ今、アナログが楽しめると思えば、それはそれで得なのかなと。
アナログにはアナログの。デジタルにはデジタルの。
それぞれいい所をユーザーが使い分るのが難しいんですけどね。




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