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2007/03/09

裸の王様

動物は”慣れ”という機能がしていて、人間も然りです。
危険なものが近くにあっても慣れていれば、その危険はあまり危険に感じなくなります。
飲酒運転と運転事故がなくならないのは過度の自身と、運転の慣れからくるものだと何かの読み物で読んだ記憶があります。

危険なものだけではなく身の回りにも沢山の慣れが存在しています。
今俺が打っているキーボードにしても画面を見ながら打てるのは慣れているからです。
ピアニストがピアノを弾けるのは猛烈に練習して慣れているからです。
アントニオ猪木のあごが気にならないのは見慣れているからです。

”慣れ”に慣れてしまっているので普段の生活であまり慣れを感じることはありません。
しかし、今朝その慣れを感じさせることがありました。

今朝、いつものように仕事に向かうために家を出ました。
すると向かいにあるスイミングスクールに送迎バスがちょうど到着するところでした。
そのバスには幼稚園生くらいの少年少女が乗っています。
その光景には慣れていたので、特に気にすることも無くバス停に向かいました。
するとバスから少年少女が降りてきて、その中の一人がこう言いました。

「ホントだー!変な髪形ぁー!!」

俺は街に出てもあまり同じ髪型の人とは滅多にめぐり合うことはありません。
国や地域によって様々な文化が存在するので、変な髪形の定義をするのは難しいですが、関東一円に住んでいる人が俺の髪型を見て、
「この人の髪型に違和感を感じますか?」という質問で「違和感を感じる」という回答率が70%を超える自信があります。
そうです。慣れているために気が付くことは少ないですが、よく考えると俺は変な髪形です。

周りを見ても変な髪型の人間どころか、人っこ一人いません。
つまり「変な髪型ぁー!!」の対象は俺である事が確定しています。
思わずその少年の方を見ましたが、沢山いたのでどの子がその発言したのかは特定することは出来ませんでした。
しかも特定したところで、その少年の発言は正直な意見です。
怒っても仕方ありません。ここで俺が変な髪形を指摘され事に憤慨するのは一種の逆切れの何者でもありません。
それに少年の発言には一切悪意を感じることはありませんでした。
しかし俺はドキッとし、思わず振り向いてしまいました。
なぜでしょうか?

それは慣れが自分自身の髪型の変さを忘れさせた事にあります。
ということは自分自身俺の髪型は変である。と認識しているのです。
しかし慣れていることによって、を恥じることなくまぁおおよそいいだろうという認識にしてしまい、変であっても街に出ることが出来るのです。
また自分自身だけではなく、友人や会社の同僚さえも俺の変な髪形に慣れてしまっているのです。
新宿などの都会の人間もそういった見た目が変な人間を見慣れてしまっているのです。

それに気づかせてくれたスイミングスクールの少年はさながら”裸の王様”に出てくる少年と同じ正直な子でした。
俺もさながら裸の王様の様な気持ちになり、複雑だけど気が付かせてくれた感謝の気持ちになりました。


今日、通勤電車の中で考えたのですが、人間慣れちゃうと変な髪形でも割りと普通に生活できるんだなぁとしみじみ感じました。とさ。
10年前だったら怪しいけどね。

あと、変な髪形なのに一緒に遊んでくれる友人はいい人だなぁと感じました。
ありがとうございます。
慣れてるだけかもしれないけど…




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